愚痴っていいもの? 悪いもの?
2011/08/25 Thu. 21:56 [日記]
なんか最近また地震やら豪雨やら多いですね。
東京も例外ではありませんが、他の地域でも被害が大きかったりする場所もあるようです。
みなさんもお気をつけください。
さて、日記というほどの話でもないですが、相変わらず世間の話題はそっちのけのお話でも(苦笑)
オススメかどうか、という話でもないのでこちらで話をするのですが、皆さん愚痴ってしてますか?
まったく愚痴がない、という人の方が稀でしょうが、その愚痴を誰かに話すのはありかなしか。何気にこれって難しいと思います。
前に何かのテレビでやっていた話としては「愚痴はよくない」という話でした。
愚痴とは聞く側も疲れるのと同時に、その愚痴に感化されて、不満の気持ちが伝染するんだとかなんとか。
確かにこの話も一理あると思います。特に、共感できる愚痴っていうのはまだしも、どうにも共感しにくい愚痴は聞いていても疲れたり滅入りますし、それこそ聞きたくない愚痴を聞かされればなおのこときついと思うのですよ。
じゃあ、全く愚痴るな、というのも自分はどうかと思うのですよね。
頭の切り替えがうまい人や、別のもので発散できる人ならいいのですが、ただ溜め込みすぎると、精神的に参ったりすることもあります。
この辺のバランスは本当に難しいのですが、自分が愚痴を聞く立場となるとき、聞いてあげてもよい人か否か、会話から線引きをしています。
簡単にまとめると、だいたい以下の感じでしょうか。
●愚痴る内容に対し、ちゃんと何らかのアクションをしている人
よく、他人への愚痴で「それは本人に言えばいいのに」とか「それならこういう行動をしてみては?」と思うことがあります。
そういう行為をすることで、実は愚痴だった話が解決する場合もあるのですよ。
なので、話を聞きながら、何らかのアクションをしたのか聞きだし、していないならしているように促すようにしています。
●愚痴に対して話をさせてくれる人
先の話に関係しますが、ただただ愚痴られるっていうのは本当に疲れます。
これは共感する内容であっても、ずっと聞くだけのターンが続くと嫌にもなります。
共感できるならこちらの共感を話せるとか、共感できない場合でもなんかしら意見を求められれば、こちらも思うことを話せ、溜め込まずに済むのですよ。
前に「会話」を進めた自分ですから、一方通行にならない話し方をされていれば、うまく聞き続けられると思っています。
愚痴一つに変に配慮されるのって変だったり、それこそ話にくいと思う人もいると思うのですけど、結果としてそれであれば、自分が聞き役でなくてもよいのですよね。
なので、こういう点を会話から察して、愚痴を聞いてあげたりしています。
まあ、このレベルを初見の人に求めるのも酷ではありますので、あくまで参考程度のアクションですが、会話からそういうことがお互い出来る関係を築くというのは大事ですからね。
逆に愚痴る時どうするかと言われれば、同様の内容は自分でも気をつけています。
まあでも、その話を共有できたり、共感してもらえる人以外にはほとんどは愚痴らないようにしますけどね。
要は「自分の知っている話の押しつけ」になっては、愚痴だけではないですが、ただの相手の負担になっちゃいます。
ですから、必然的に押し付けにならない人に、どうしても溜め込んでしまっていたら話す、という風にしています。
ただ、これが勿論正ではないと思いますし、自分もすべてでうまくやれているわけではないので、まだまだこれからも色々試行錯誤したりしないと、ってところなんですけどね。
皆さんだったらこういう時どうしているのか結構気になります。
東京も例外ではありませんが、他の地域でも被害が大きかったりする場所もあるようです。
みなさんもお気をつけください。
さて、日記というほどの話でもないですが、相変わらず世間の話題はそっちのけのお話でも(苦笑)
オススメかどうか、という話でもないのでこちらで話をするのですが、皆さん愚痴ってしてますか?
まったく愚痴がない、という人の方が稀でしょうが、その愚痴を誰かに話すのはありかなしか。何気にこれって難しいと思います。
前に何かのテレビでやっていた話としては「愚痴はよくない」という話でした。
愚痴とは聞く側も疲れるのと同時に、その愚痴に感化されて、不満の気持ちが伝染するんだとかなんとか。
確かにこの話も一理あると思います。特に、共感できる愚痴っていうのはまだしも、どうにも共感しにくい愚痴は聞いていても疲れたり滅入りますし、それこそ聞きたくない愚痴を聞かされればなおのこときついと思うのですよ。
じゃあ、全く愚痴るな、というのも自分はどうかと思うのですよね。
頭の切り替えがうまい人や、別のもので発散できる人ならいいのですが、ただ溜め込みすぎると、精神的に参ったりすることもあります。
この辺のバランスは本当に難しいのですが、自分が愚痴を聞く立場となるとき、聞いてあげてもよい人か否か、会話から線引きをしています。
簡単にまとめると、だいたい以下の感じでしょうか。
●愚痴る内容に対し、ちゃんと何らかのアクションをしている人
よく、他人への愚痴で「それは本人に言えばいいのに」とか「それならこういう行動をしてみては?」と思うことがあります。
そういう行為をすることで、実は愚痴だった話が解決する場合もあるのですよ。
なので、話を聞きながら、何らかのアクションをしたのか聞きだし、していないならしているように促すようにしています。
●愚痴に対して話をさせてくれる人
先の話に関係しますが、ただただ愚痴られるっていうのは本当に疲れます。
これは共感する内容であっても、ずっと聞くだけのターンが続くと嫌にもなります。
共感できるならこちらの共感を話せるとか、共感できない場合でもなんかしら意見を求められれば、こちらも思うことを話せ、溜め込まずに済むのですよ。
前に「会話」を進めた自分ですから、一方通行にならない話し方をされていれば、うまく聞き続けられると思っています。
愚痴一つに変に配慮されるのって変だったり、それこそ話にくいと思う人もいると思うのですけど、結果としてそれであれば、自分が聞き役でなくてもよいのですよね。
なので、こういう点を会話から察して、愚痴を聞いてあげたりしています。
まあ、このレベルを初見の人に求めるのも酷ではありますので、あくまで参考程度のアクションですが、会話からそういうことがお互い出来る関係を築くというのは大事ですからね。
逆に愚痴る時どうするかと言われれば、同様の内容は自分でも気をつけています。
まあでも、その話を共有できたり、共感してもらえる人以外にはほとんどは愚痴らないようにしますけどね。
要は「自分の知っている話の押しつけ」になっては、愚痴だけではないですが、ただの相手の負担になっちゃいます。
ですから、必然的に押し付けにならない人に、どうしても溜め込んでしまっていたら話す、という風にしています。
ただ、これが勿論正ではないと思いますし、自分もすべてでうまくやれているわけではないので、まだまだこれからも色々試行錯誤したりしないと、ってところなんですけどね。
皆さんだったらこういう時どうしているのか結構気になります。
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